カテゴリ:過去を引きずる記憶( 5 )

2010年 04月 10日
「のりちゃん」の事。
のりちゃんは私の従妹の一人だ。誕生日が数ヶ月遅いので少しばかり、私がお姉さん、ということではあるが、彼女の方が明らかに大人びていた。彼女は往年の「小林麻美」(ご存知の方はいるかしら??)に良く似ていて、本当に綺麗な人だ。

かつて、私達が子供だった頃、母の実家に行く時、従妹達と遊ぶ事が楽しみだった。
母は女姉妹の6番目。妹が一人居るだけの7人姉妹。私にとって従妹、といっても殆どは年の離れたお兄姉さんが殆ど。その中で、同じ学年ののりちゃんは気になる存在だった。
のりちゃんのお母さん、である伯母さんは、ご主人の仕事の都合で早くから東京暮らし。
故にのりちゃんも都会っ子だった。

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by mamaten | 2010-04-10 01:17 | 過去を引きずる記憶 | Trackback
2007年 11月 14日
ほおずき
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今日映した‘ほおずき‘です。
この状態のほおずきが好きで、毎年、楽しみにしています。

ほおずきは、特別好きなわけじゃないけれど、少なからず劣等感が甦る、そんな植物です。

小学生の頃、我が家には、ほおずきが有りませんでした。母の実家や友達の家に遊びに行くと、ほおずきがあって、羨ましいものでした。
何が羨ましいかって言うと、家にあれば練習して、草笛みたいにピーピーと、鳴らせることが出来ると思ったからです。

遠い記憶になるけれど、遊びに行った友達の家で、友人たちは、器用に赤く色付いた中の実をやさしく揉み解し、破れない様に中身を出して、口に入れ、綺麗な音を出すのです。始めて見たときは驚いた。  何で~・・・?と同じように真似してみても、到底同じには出来ない。

ウチにもほおずきがあったら、練習できたのに・・・、と言う思いに駆られ、ず~と悔しい思いを持ってました。皆が出来ることが出来ないなんて、幼心にも傷ついたのです。たとえ、昔のなんでもない遊びとは言え・・・・。

もちろん今も出来ません。でも、庭いじりをするようになって、すぐに、ほおずきの鉢植えを買い、植えました。説明書には「日当たりのよいところに」と書いてあったので、そういう場所に植えたのですが、・・・・次の年にはなくなってしまいました。

そして、1,2年、忘れた頃に、見たことある葉っぱを見つけました。それは、紛れも無くほおずきでした。それも、植えた場所から、程遠く、大きな木の影に、薄陽が射す程度の日陰に・・・。

「・・・!!!」です。
ほおずきは地下茎で増えるとは聞いていましたが、よりによってこんな日陰!     しばし考えたのですが、ほおずきはほおずき自身で、自分が生きていくべき場所を探して、時期を待って自分でこの世に新たな人生を始めるべく、芽を出した、・・そういう事なんだろうな。

あれから、私の手入れが悪いせいもあって、増え方は鈍いけど、確実に毎年、株を増やしてます。
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by mamaten | 2007-11-14 01:05 | 過去を引きずる記憶 | Trackback | Comments(5)
2007年 08月 27日
注射・・・
それは突然にやってきた。

それは小学校の確か3年生頃。
ツベルクリン反応の注射をして、判定の日、私の腕にはポチッと言うくらいの赤い斑点しかなかった。  クラスで人気者だったk君が皆の腕を見て回っていて、自己判定を下していた。

私のポチっとした斑点を見た彼は、おもむろに言った。『強く叩けよ。そうすれば赤く、大きくなる。』  
 つまり斑点が大きければ抗体が強いので大きく腫れ、少なければポチ。抗体が少なければ日本脳炎の予防注射を受けなければならない。それは 痛い! と評判だった注射なので、出来れば受けたくないのが子供心 というもの!

それを聞いて、ポチの人は叩いたり、もんだりしていた。  でも、私はそうする勇気が無かった。それで、目出度く予防注射となった。

注射は幼い頃からの病院通いで慣れていたので、ことさら戸惑いもせず、接種を終えた。

が、それは突然やってきた。   『気持ち悪い・・・・。』

それほど暑い日で無かったにも拘らず、妙に汗が出た。拭いても拭いても出てくるし、暑くて暑くてたまらない!  急に地の底に引きずりこまれるような暗闇の中に閉じ込められ、私は立っていられず、倒れこむように机に突っ伏した。 

目も開けられず、『大丈夫?』と聞く友達の声に反応も出来ずに、ただただ、ジッと動けずにいた。


やがて、汗も引き、熱さも感じなくなってようやく目を開いたときには、注射の痛さ!など、忘れていた。そして、『ああ、良かった。普通に戻った。』と思った。

この経験以後、私は注射のたびに気分が悪くなるようになった。
この事が忘れられなかったので、どんな注射の後でも必ず座って静かにしているようになった。

気分的なものなのか、とずっと思っていた。

が、それが何だったのかが判明するときがきた。

最初の子を妊娠したとき、まず、血液検査をする。
看護士さんが『アレルギーとかありますか?』と聞いてきたので、特に思い当たらないけど、注射をすると気分が悪くなる、と答えた。看護士さんは『まあまあ、注射がこわいの?それとも先端恐怖症?』と言ってにこやかに微笑んだ。

そして、例の如く、採血の後、気分が悪くなった。顔を上げていられず、下を向いたままで、『気分が悪い・・・・』と言うと、看護士は『顔色悪いから、血圧を測ってみましょうか。』と言って測り始めた。   そして言った。

『先生、大変です! 血圧が下がっています!』

直前に測っていた血圧は120-80くらいだったのに80-40に下がっていると言う。
この時、過去に気分が悪くなった原因を私は確信した。
『注射をすると血圧が下がる。』

それ以来、私はベッドに横になってから採血をするようになった。いつも30分くらい、回復するまで、横になっている。親しくなった看護士さんは言った。『注射で血圧下がる人、いるんだねぇ・・・・・。』

今も同じです。注射のたびに横になってます。注射が怖いわけじゃないのだけど。
注射と言うと、いつも思い出すのは、あの最初に気分が悪くなった教室の事ばかりです。鮮明に蘇ってくるのです。
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by mamaten | 2007-08-27 02:37 | 過去を引きずる記憶 | Trackback | Comments(5)
2007年 06月 18日
山百合
私の一番好きな花は百合。それは遠い日の、縁側の記憶に繋がる。

幼い頃、女の子だったにも拘らず、私は「ままごと」が嫌いな子供だった。それに、縫いぐるみや、人形等にも興味が無く、欲しい、と思ったことが無かった。今にして思えばよほど変わった子供だった様だ。

この、変な子供らしくない私の少女時代は、時を経て、私の娘に遺伝したらしく、娘もまた、ままごとや、お人形遊びには全く興味の無い様子だった。私の過去の反省から、少しだけでも女の子らしい遊びを覚えさせようと、「りかちゃん」人形を3体と着せ替えの洋服をセットにして、幼稚園の頃プレゼントしたことがあった。バービーだってあげた。

娘はどうしたかと言うと、2,3日後には首と、胴体が離れ、手は行方不明、髪はハサミでバッサリ!洋服はゴミ箱に捨ててある。楽しむ、と言うよりは、邪魔、と言う感じで、いじれるところは全部いじって、りかちゃんバラバラ、洋服行方不明。そして、「面白くない。」と言った。私は一生懸命遊び方を教え、一緒に着せ替えなどしてみたが、「いいよ、面白くない。」と。

嗚呼!何と!     私は一言だって自分の幼い頃の事など言っていないと言うのに。・・・・。
尤も、それ以上は無理強いもしなかった。

それはそうと、それで、私が何をしていたかというと、はっきりと覚えていないが、必ず思い出すのは、縁側に座ってっていた記憶だ。

夏は家の東側に覆いかぶさるような、大きな樫の木に、照りつける太陽の陽を心地よくさえぎった縁側の端っこにいつも座っていた。

冬はヒナタッボコに最適な日のあたる縁側で、柱に寄りかかり・・・・。

まるで子供らしくない記憶がいつも縁側と一緒にある。ぼんやりと、そしてごろごろしながら、およそ子供らしくない日々が記憶にある。

特に夏、暑がりの私はいつも涼しい場所を探して家中をさまよった。だから、樫の木で太陽の光を遮ってくれる東側の縁側は最高の特等席だったのだ。

そして、田舎の事だったから、田んぼを渡ってきた風や、林を過ぎてきた風に心地よく身を任せ、廊下の柱にもたれかかり、ある時には畳の上にごろごろし、うとうとしかけた頃、ハッとして目を開くときがあった。それは山百合の匂いが吹いてきたときだった。

大人になっても、運転していて土手などに山百合を見つけると、窓は開けていなくても匂いが飛んでくる。何とも言えない胸の高まりと、満足感を覚え、私はうっとりする。

 遠い日の夏の記憶、縁側の記憶。今も色褪せない山百合の匂い。お花屋さんの百合の匂いにさえ、胸が切なくなってしまう。

  『山百合のかすかな匂いに誘われて、やっぱり好きになれない夏を見つめている』
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by mamaten | 2007-06-18 01:04 | 過去を引きずる記憶 | Trackback | Comments(1)
2007年 06月 11日
はしか と 零点
今年は大学で「はしか」が流行り、休校が相次いでいるが、「はしか」というと思い出すのは 零点 ということ。つまり、「0点」のこと。あたりまえか!

私は小学校1年生の時、はしか にかかった。学校を休み、熱が下がっても、「発疹が消えるまでは風に当たってはいけない」といわれ、元気はあるのに外に出ることもできず、閉じられた部屋の中で、暇をもてあました日が続いた。

そして、目出度く登校のお許しが出た次の日、意気揚々と登校した。
算数の時間になると、先生が「きょうはテストをします。」と言って問題用紙を配り始めた。配られた問題を見ると、「なーんだ、簡単!」の問題。何しろ、1年生だし、結構私は飲み込みが早く、その時点で優等生だったから、難なく記入し終えた。

それから、何日か後、そのテストが返された。もちろん自信のあった私は当然100点という数字が書いてあるのを確信しながら名前の脇に目をやると、『0点』!!!
 『先生、書き忘れたんと違う?』と訝しげに答えに目をやると、確かに『○』ではなく、斜めの線!それも全部!何がなんだか理解できず、不可思議なまま、授業は全然何をしていたのか、覚えるはずも無く、ただ、なにやら聞いたことの無い「引き算」という言葉だけが頭に残った。

もちろん自分自身が理解できないのだから、親に見せるはずが無い。半信半疑の私は帰宅後、ジッと教科書を目を凝らして眺めた。そして、、初めて気が付いたのだ。
「引き算だ!」 私は 引き算の問題を全部 足し算で計算していたのだった。
  はしか で学校を休む前、確かに 足し算 を習っていた。そして、登校停止、10日の間に授業は私を待っていてはくれなかった。その間に引き算を皆は勉強し、その確認テストに日に私は目出度く登校となって、全く未知の分野のテストを受けたのだった。

今のように「連絡帳」とか無かったし、全体にのんびりした時代だった。
もちろんその後、必死に引き算を勉強したのは言うまでも無い。『0点」を取ったのはこの時が最初で最後。後に4年生の時、今度は「水疱瘡」にかかり、 「台形の面積の求め方」も1週間の休みとなり、登校したときに同じ目にあったが、この時は他の分野の問題もあったので、それで点が取れたので、0点にはならなかった。
 
衝撃的な0点はいつも 、はしか と繋がって、はしか と言えば 0点、0点と言えば はしか とイコールになっている。今では笑って話せる忌まわしい過去も、あの当時は小さな胸を痛める、深刻な事件だった。暫くは誰にも言わなかった。こんな事言えるようになったのは大人になってからだ。0点はやはり衝撃的な出来事だったから。
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by mamaten | 2007-06-11 01:37 | 過去を引きずる記憶 | Trackback | Comments(0)